柳久保小麦とは

柳久保小麦

柳久保小麦は嘉永3年(1851年)に奥住又右衛門(東久留米市柳窪在住の故奥住和夫の曽祖父)が旅先より持ち帰り地域に広まったとされており、奥住家に記録が残されております。

その特徴は風味豊かで在来小麦特有のもっちり感があり、お菓子やうどん作りなどに適しています。また、草丈が120cm〜140cmと高く、麦わら屋根の材料として大変に重宝され多摩地区から神奈川、埼玉にかけて広く栽培されていました。しかし、草丈が高いため倒れやすく栽培に手間がかかることや、収穫量が他品種と比べ半分以下と少ないことで、昭和17年に食糧増産政策の下で生産が途絶えてしまいました。

特徴的な背丈の高さ
【2022年】倒伏した年の柳久保小麦の刈り取り

その後、生産されることもなく戦後の復興・経済成長の中で久留米村から久留米町になり東久留米市へと変わり、滝山団地が完成した頃には農地や農業を取り巻く環境も大きく変わり小麦・芋類・根菜の栽培から葉菜・軟弱野菜を中心とした換金型農業・都市農業に変わっていきました。

そうした頃、奥住さんの家の建て替え工事があり、屋根藁の中から柳久保小麦の穂が出てきました。そこで試しに蒔いてみたところ発芽しませんでした。それでもなんとか柳久保小麦を育てたいとの強い思いで東京都農林試験場にお願いしたところ、農水省生物資源研究所に保存されている種を試験栽培ということで40gを借り受け、昭和60年から栽培を始めました。

その後、種子法も変わり一般に栽培が許されるようになりましたが、柳久保小麦を栽培する人は現れず奥住さん一人が栽培を続けていました。

平成14年、野崎市長が誕生して地域の活性化・産業の振興の掛け声の中で【柳久保小麦による町おこし】が提言されました。翌15年秋、市の提言を受けた農家・JA・行政三者の協力により柳久保小麦の会が発足し、11月から奥住さんの指導を得て栽培農家7戸・栽培面積8反で柳久保小麦の栽培を始めました。そして翌年16年6月には1200kgを収穫することができました。

こうした経過を受けて地域の特産品を目指す地域産業振興会議・柳久保小麦の会の二人三脚の活動が始まりまり、今では地域産業振興協議会・JA・商工会・市民の協力で柳久保小麦を使用したうどん・ラーメン・かりんとう・パン・スイーツ・パンケーキミックス・お好み焼き&もんじゃ焼き粉などが販売されています。

分析試験項目結果
水分14.4g / 100g
たんぱく質12.6g / 100g
脂質2.0g / 100g
灰分0.58g / 100g
炭水化物70.4g / 100g
エネルギー350 kcal / 100g
ナトリウム検出せず
食塩相当量検出せず
栄養分析表

柳久保小麦について柳久保小麦の会の高橋会長とトークイベントをさせていただきました。

長めの動画ですが、ぜひご覧ください。

柳久保小麦の会 高橋会長とのトークライブ